With a Trowel 鏝と共に~ 坂本建美装は、鏝を使った匠の技で日本伝統技術を守り、提供します。

飛鳥~平安時代

飛鳥時代~平安時代

飛鳥時代

法隆寺 西院伽藍 金堂

大阪市天王寺区にある、和宗の総本山。聖徳太子建立七大寺の一つ。『日本書紀』によれば593年に造立が開始された日本最古の官寺です。
四天王寺の伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」であり、法隆寺西院伽藍(670年焼失後の再建とするのが定説)の前身である法隆寺の「若草伽藍」の伽藍配置もまた四天王寺式であったことはよく知られています。

法隆寺 西院伽藍 五重塔

法隆寺 西院伽藍 五重塔

四天王寺(してんのうじ)  一遍上人絵伝(巻2)より

四天王寺(してんのうじ) 一遍上人絵伝(巻2)より

日本最古の塗り壁は飛鳥時代から。
The wall which is the oldest with a Japanese building.

6世紀の終わり頃から8世紀初頭にかけて飛鳥に都が置かれていた時代。
飛鳥文化はそれまでの古墳文化に、百済・高句麗などを通じて伝えられた中国の南北朝時代の文化の影響が加わって生まれました。
推古天皇、聖徳太子の発願によって創建された法隆寺は、世界最古の木造建築で、百済より渡来した工匠達によって造られました。

この時代になると他の建築技術同様に左官工事も急速に発展し法隆寺西院伽藍の金堂、五重塔の壁画下地を構成している土壁は小舞下地に荒壁・中壁・ふるい土の順に土壁を塗り、最後に白土上塗をし、これをカンヴァスとした壁画を描いています。
今日の土壁もほとんど変わらない工法が用いられていることから、完成された左官技術を垣間見ることができます。

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土壁は下地を小舞竹(割竹)を縦横3~4cmの格子状に掻き縄で編んで、その上から荒壁土から鏝で塗りつけていきます。
小舞を使った純和風の真壁造りの工法を「竹小舞下地壁」といいますが、竹小舞が一般化したのは鎌倉時代以降であり、法隆寺の壁下地は檜の小割材で作られた木小舞でした。

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法隆寺五重塔壁下地(同寺修理報告書より)

奈良時代

平城宮の朱雀門(平成10年復元)

平城宮の朱雀門(平成10年復元)

平城宮(へいじょうきゅう)は710年に遷都した奈良の都平城京の大内裏で、そこに朱雀門が設置されていました。
正倉院(しょうそういん)

正倉院(しょうそういん)

奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していました。

校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。規模は正面約33.1m、奥行約9.3m、床下の柱の高さ約2.5mで、建立時期は不明ですが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8)前後とみるのが通説です。

土工司(つちのたくみのつかさ)と奈良時代。
TSUCHINOTAKUMINOTSUKASA and The Nara era.

元明天皇が奈良盆地の北端に平城京をきずいた710年。
この時期の律令国家は、政治の全てに渡って権力を掌握し、戸籍と計帳で人民を把握し、租庸調と軍役を課しました。

この頃、朝廷には「土工司」(つちのたくみのつかさ)が設置され、左官工事の材料・施工を管理し、後にはそのなかから「石灰司」が独立し、石灰製造をつかさどるようになりました。

その消石灰は奈良時代後半から平安時代初期にかけて建築物に対しても使用量が急速に増加し、白土から漆喰へと移行することになります。

東大寺大仏殿

東大寺大仏殿

東大寺は聖武天皇が国力を尽くして整備した寺院。
当時は大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されていましたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失しました。
現存する大仏殿は江戸時代に再建されたものですが、創建当時にくらべ、間口が2/3に縮小されており、徳川幕府の援助をもってしても当初の規模を再現することは不可能でした。

平安時代

寝殿造り

寝殿造り

貴族が住む寝殿造りには、床材に畳が用いられるようなり、座るところや寝るところに敷かれました。

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂

1053年(天喜元年)の建立で浄土式庭園の池の中島に東向きに建つ本尊阿弥陀如来像を安置する中堂(ちゅうどう)。
日本の10円硬貨には平等院鳳凰堂が、10000円紙幣には屋根上に飾られている鳳凰がデザインされている馴染みの深い建造物です。

土壁の耐火性能に注目した平安時代。
The heian era that paid attention to fireproof performance of an soil wall.

794年に桓武天皇が平安京(京都)に都(首都)を移した平安時代。
天皇の代理者が政治の実権を独占した摂関政治が展開し始めました。
律令下の課税制度も変化し、富豪層と一般百姓層の格差はますます増大し、一般百姓は次第に富豪の支配下に組み込まれていきました。

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平安絵巻

平安の貴族の住まいは、寝殿造りというもので、寝殿を南面にし、その左右背後に対屋が建っており、寝殿と対屋は廊(渡殿)で連絡していました。平安中期以降、土工匠は「壁大工」や「壁塗」と名を変え、工事対象も仏寺・宮殿のほか、貴族の邸宅やその付属屋までにいたりました。
とりわけ、土壁の耐火性能が注目され、以後、土蔵の需要は多くなり、現在でもの日本各地で見事な左官仕事を施した土蔵を数多く楽しむことができます。

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