大正~昭和時代
大正~昭和時代
1914年(大正3年)に開業された東京駅。
辰野金吾と葛西万司が設計した鉄筋レンガ造り3階建て総建坪9,545m2の豪壮華麗な建築物で、皇居に向いた丸の内側に建設されています。
永田町一丁目に立つ国会議事堂は、1936年(昭和11年)に竣工しました。
正面からみて左側に衆議院、右側に参議院(旧貴族院)が配置されています。
戦後~高度成長期
1958年(昭和33年)10月に竣工した総合電波塔は自立式鉄塔としては世界一の高さです。
地上波アナログテレビジョン放送(VHF・UHF)・FM放送・地上デジタル放送のアンテナとして放送電波を送か、JR東日本の防護無線用アンテナ・東京都環境局の各種測定器を設置しています。
略称・霞が関ビル)は、1968年(昭和43年)にオープンした地上36階、地下3階、地上高147mの日本で始めての超高層ビルです。
大正モダン。
Taisho is modern.
1923年(大正12年)には関東大震災により東京は未曾有の大災害に大きな損害を受けました。
しかしながら、震災での壊滅を機会に江戸時代以来の東京の街を大幅に改良し、道路拡張や区画整理などを行いインフラが整備され、大変革を遂げることができました。
また、明治時代まで呉服屋であった老舗が次々に「百貨店」に変身を遂げ、銀座はデパート街へと変貌した時代で、洋風文化のモダニズムを積極的に採用され、左官のこて技の需要も急速にかげりを見せ始めました。
高度成長と木造モルタル2階建て。
High growth & wooden mortar two-storied house.
日本経済は戦前の水準に復興し、更なる高度成長が始まり、1986年(昭和43年)にはアメリカについで資本主義国第2位の規模に達し、日本は世界経済のなかで重要な地位を占めるにいたりました。
国際競争力の強化のため積極的な設備投資で企業の巨大化が進み、この過程で1960年代を通じて農家戸数は70万個も減少しました。
1950~1960年代の高度成長期は集合住宅の建設ラッシュで“木造モルタル2階建て”は一般住宅の定番スタイルでした。
モルタル塗り工法は耐火性能に優れ、シームレスで多様な仕上げに対応できる反面、最大の弱点は柔軟性に乏しく、経時的な建物の歪みや振動によってクラック(ひび割れ)が生じ、美観を著しく下げ、その後はサイディング等の新建材にそのシェアを奪われていきました。
住宅様式の変化として壁の塗装、クロス仕上げ等が増加したことに伴い、急速に職人数の出番は減り、技術も失われつつあるなか、こて捌きの技術を活かしつつ、ビル建築等の床下地のモルタル仕上げなどで活躍しました。