桃山時代
鎌倉時代
1576年(天正4)織田信長が近江国琵琶湖湖岸に造成を始め、1582年(天正10)の信長横死後まもなくして廃城となりました。
大型天守を持つ初めての城でした。
現在の大阪城天守閣は1928年に当時の大阪市長關一によって再建が提唱され、1931年に竣工した昭和以降、復興天守の第一号です。
左官工事の結集ともいえる白亜総塗籠(はくあそうぬりごめ)の姫路城は、壁のみならず、軒裏や破風、窓格子に至るまで漆喰が施され、万全の耐火構造としています。
左官工事が普及したのは、城郭建設に伴う生産性の向上を抜きにしては考えがたいといえます。
京都大山崎の妙喜庵(みょうきあん)内にある国宝の茶室。1582年(天正十年(1582)、秀吉と明智光秀との山崎合戦の折に、利休によってつくられたものと伝えられ、書院に接して南向きに建てられています。
内部は二畳隅炉で、次の間および勝手一畳があります。
城郭建設ラッシュの始まり。
An opening of a castle construction rush.
1573年頃より始まった安土桃山時代、織田信長と豊臣秀吉が天下人として日本の統治権を握っていた時代です。
織田信長の安土城、豊臣秀吉の桃山城(伏見城)に因んで、このように呼ばれているように、城が支配の象徴となる時代の幕開けになりました。
信長の権力を誇示したその姿は五層七重で最上層は金色、下層は朱色の八角形をしており、内部は黒漆塗り、そして華麗な障壁画で飾られていたとされます。
豊臣時代の大坂城天守閣は1583年に築城をはじめ、3年かかって完成しました。
地上約39m、望楼式の5層、屋根は華美な金箔瓦が乗り、豪壮華麗な城でした。
秀吉築城の大坂城を現代の工事費に換算すると約780億円、豊臣時代の大坂城2km四方の工事を含めると約5兆円にのぼると、昭和の天守閣復興、平成の大改修を担当した大林組が試算しています。
茶室の誕生。
Birth of a tea-ceremony room.
安土桃山時代の茶人として著名な千利休。
織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、のち豊臣秀吉に仕えた。1587年の北野大茶会を主管し、一時は秀吉の重い信任を受けました。
何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られています。
妙喜庵にある侍庵は国宝で日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室です。
千利休(せんのりきゅう、せんりきゅう)
1522年(大永2年) – 1591年(天正19年)は中世末期、安土桃山時代の茶人。
何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られていますが、秀吉の聚楽城内に屋敷を構え聚楽第の築庭にも関わり、碌も三千石を賜わるなど、茶人としての名声の絶頂にあった頃、突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられました。